荻窪一帯は関東ローム層が地表を覆っており、周辺地域は水利がきわめて悪い地域です。
しかし、荻窪の中心部を流れる善福寺川の流域は水利が良いため、古くから水田が開かれていました。
和銅元年(708年)に荻堂が、寛平年間(890年頃)には荻窪八幡神社がそれぞれ創建されました。
荻窪八幡には1052年に、源頼義が前九年の役の戦勝祈願をしたとも伝えられています。
1590年頃、 荻窪村が西側の上荻窪村と東側の下荻窪村に分割され、江戸時代初期には、下荻窪村は服部半蔵の、上荻窪村はその配下の知行地となり、その後どちらも天領となりました。
その後時代は下り、1892年に甲武鉄道(現・JR東日本中央線)荻窪駅が開業しました。
また荻窪一帯は空襲を逃れたため、第二次世界大戦における空襲で被災した下町から多くの人が移り住むようになり人口が増加し、さらに都心からのアクセスの良さも手伝い、現在の賑わいのある街として発展しました。